力の強い親知らず
健康でありたいと思いながら、健康であるときにはその有難みを忘れてしまう。
そういう節がある。
どことなく、恋人がほしいと思いながら、恋人がいるときにはその幸福に鈍感になってしまうのと同じような。
ここ一週間は親知らずのことばかり考えている。
ただの歯肉炎かと思っていたのだけれど、明らかに、親知らずが歯肉を突き破ってこちら側に出てこようとしている。
邪魔になっている奥歯は、親知らずに押されるようにして、おかしな向きになってしまった。
これ、大丈夫なのだろうか。
そして、昨日までの痛みはだいぶ和らいだものの、今度はそことは違う部分が痛み始めた。
親知らずが押しているのだろう。
一番近くにいる奥歯を押していることによって、その圧力が前歯の方にまで来ているのかもしれない。
右側下の歯が、どれも、小さく悲鳴を上げている気がする。
ドミノ倒しみたいに、全部の歯が傾いてしまったらどうしよう。
歯医者に予約はしたものの、混んでいるらしく、2週間以上先に。
あまりに痛みがひどいことにして、(実際に結構痛いのだけど)急患としてみてもらえないだろうか。
この歯の痛みと闘い始めて、平安時代の人たちってすごいよなあって。
親知らずとかどうしてたんだろ。
頭痛薬のない世界とか。
そういうことを考え始めると、きりがない。
この時代に生まれてよかった、と思うのは、きっと、人間に過去と未来を認識する力があるせいなのでしょう。
この時代に生まれて、って、なんか合唱コンクールの曲みたい。
上司と会話をする気力がない。
そもそも、会話をしたいと思えない。
この人の話を聞きたい、と思う人っていうのは、どういう人なんだろうか。
頭がいいとか、もの知りとか、そういうことだけじゃない。
人間的に尊敬できるかどうかや、その生きざまが魅力的かどうかということの方が重要な気がする。
そういう人って、いままであんまり出会ってない。
五十を過ぎた男って、どうしてやたらと横柄になっていくんだろう。
もちろん、そうではない人もいるけど、そうなってしまった人が目につきやすいせいで、イメージがしっかり付いてしまっている。
そうしないと、なにかが保てないのか。
かなしいなあ。