買いもの

スーパーに行くと最初はわくわくするけど、そのうちに暗い気持ちになってくる。

もう大人なので、よっぽど高級なものとかでなければ、まあ、好きなものを好きなように買うことができる。

そういう高揚感みたいなものが大きいうちは楽しい。

 

でも、店内をうろついているうちに、最初は欲しいと思っていたものが次第にそんなに欲しくなくなっていく。

 

そうして、空っぽのカゴを持ったままうろついている自分がなんだかとても空しい存在に思えてきて、いやになってくる。

 

欲しいと思ったけど、買うほどのこともない。

そう思ってしまうともうだめ。

 

生きている意味を考えてしまう。

大げさだけど。

気遣う

自分が気をつかってこうしているのに、相手はまるで気にもしない、という状況に腹を立てることはエゴなのか。
仮にエゴなのだとしても、もういい。
こちらは、相手が嫌だろうなストレスだろうなということを少しでも短くしようと思っているのだけれど、相手にはそういう気持ちはない。
こちらが嫌だったりストレスだったりということに想像が向かないということなのか。

今日はとても疲れた。
とにかく、早くベッドで横になりたかった。

人を簡単に否定してしまえる人間と久しぶりに出会ってしまったので、あまり近寄らないようにはしてるんだけどどうしても顔を合わせなければいけないこともあるので憂うつだ。

自分は正しい、という感覚が強すぎるというのは、どんな人生なんだろうか。

そういう、エゴイスティックな感じは、自分にだって少なからずあるとは思うけれど、それを他人にふりかざす、というのは、ちょっと子どもっぽいんじゃないかなと。

いやな所にまずいくように、目ができてしまっている気がする。
もっといい目がほしい。
人のいい所にまずいくような、目。

風と雨

楽しいふりをしてないかって、いま、だれかに訊かれたら、すぐに首を縦に振れるだろうかと考える。

たぶん、楽しさは風みたいなものなんだろう。
瞬間的で、そんなに持続しない。

子どもの頃は毎日が台風の日だった。
現在はもう、めったに台風はやって来ない。
それどころか、そよ風も。

と思ったりもするんだけど、それは本当に本当だろうかと考えたりもする。
同じように吹いている風を自分が感じなくなってしまっただけなのかもしれない。

それなのに、雨に濡れることにはひどく敏感になってしまった気がする。
それはつまり、悲しさということ?

普段からこういうことを思っているわけじゃないのに、書きはじめると、その先が見えてくる。

風を感じないのは、もしかしたら、外側を鎧のような何かで覆っているから?
それとも、風が入ってこられない窓の内側にいるから?

裸になることは恐ろしい。
それこそ、ちっちゃな子どもの頃は平気だったっけ。

そういえば、屋内にいても、雪が降ると風がよく見える。

なんのことだかよくわかんなくなってきたな。
とにもかくにも、楽しそうな人も、本当は楽しくないのかもしれない。
と思ったらすこし気が楽になる気がする。

出会いの季節は恐ろしい

人を嫌いになるというのは恐ろしい。

一旦嫌いになってしまうと、(それまでならばさほど気にならなかったことでも)、もはやその人の言動の全てにストレスを感じてしまうようになる。

 

そして、嫌いになる人というのは、大抵近くにいる。

近くにいる人を嫌いになるということは、自分にとって、自分の精神にとって、とんでもなくよろしくないことに違いない。

 

でも、嫌いになってしまう。

これまでの職場でもそうだった。

 

嫌いというのにもいろいろある。

自分と同じようなことをしていて、たとえば、自分よりも優秀でそつがない人がいるとしたらそれはそれで嫌いになるし、

明らかに無能でそれなのに傲慢だったり偉そうだったりするともう秒速で嫌いになる。

 

前者の方は、単に自分が嫉妬しているだけなので、本当の嫌いとは違うんだろうけど。

 

自分もきっと誰かに嫌われてきたはず。

それか、嫌われるほど近づかなかったからそうでもないか。

 

嫌われる恐怖よりも、嫌いになる恐怖の方が大きくなってきた。

 

次は誰のことを大っ嫌いになってしまうのか。

出会いの季節は恐ろしい。