栄養と汚物
昔から、車に酔いやすかった。
遠くを見るようにしなさい、とか、文字を読まないようにしなさい、とか、まどを開けなさい、とか言われたりして、でも、言われた通りにしたとしても、どうしても酔ってしまう。
親の車はまだよかった。
子どもが酔いやすいからなのか、ただ単にそういう運転の仕方だったのかわからないけど、親の運転する車ではそれほど酔わなかった。
時おり、ひどい運転の車に乗ってしまうことがあって、そういう時、自分の親の運転がこうじゃなくってほんとうによかったと思った。
酔い止めの薬を飲めば、たいてい酔うことはなくなった。
でも、いつでも薬を持っているわけでもなく、どちらかといえばそそっかしい子どもだったので、用意していた薬を忘れていってしまうことも。
その時の絶望感たるや。
ある日のこと。
学校の行事かなにかで、バスでどこかに出かけることがあった。
酔い止めは飲んでおらず、たしか、山の上のほうにあるなにか(ダムとか、キャンプ場とか)が目的地という、かなり危険なパターン。
でも、その日は酔わなかった。
前の座席の後ろの、網のポケットにはポリ袋が入っていた。
それを見て、あぁもしも酔ったらこの袋に吐いてしまえばいいんだ、と思って、そうしたら、とてつもなく気が楽になった。
気が楽になると、そのことをあまり不安に思わなくなって、べつのことに気持ちを向けている時間が増えていく。
気がついたら、目的地に到着していた。
それ以来、鞄やリュックには畳んだポリ袋を一枚入れるように。
いつでも吐ける、という安心感があるとないとでは、こうも違うのかということを子どもながらに感じたような気がするのだけれど、大人の自分が思ったことを子ども時代の自分に託そうとしているだけなのかも。
そういうことってときどきある。
とにもかくにも、このブログはそういう存在になってもらおうと思って、この名前に。
気づいたらごみでいっぱいになってしまうかもしれない。
それはそうと、飲みこめばたいていのものは栄養になるのに、それも、吐きだしたとたんに汚いものになってしまうから不思議。