救うと掬うと巣食う

やさしい仏像という本を買った。

マンガで教養 やさしい仏像 (マンガで教養シリーズ)

マンガで教養 やさしい仏像 (マンガで教養シリーズ)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2016/12/07
  • メディア: 単行本
 

マンガもあって、とても読みやすい。 

それから、この二冊も。

完全版 仏教「超」入門 (ディスカヴァー携書)
 
仏教の智恵が身につく本 (中経の文庫)

仏教の智恵が身につく本 (中経の文庫)

 

仏教に目覚めた、とかいうわけではないんだけど、最初の仏像の本を読みはじめたら、少しずつ興味がわいてきた。

 

仏像の本を本屋で見たときに、最初に浮かんだのは母のことだった。

うちの母は仏像が好きで、何年か前には唐突に奈良だか鎌倉だかに仏像を見るためにはるばる行ったりもしていたらしい。

そういう話を聞いていて、どこに惹かれるんだろうとは思いつつも、あまり深入りはしてこなかった。

 

それが、今回はなぜだかふとその本を買う気になった。

ページをぱらぱらとめくったときに、挿し絵が豊富で、マンガも読みやすい感じだったというのが大きい。

つまりふつうに面白そうな本だったということ。

 

そして、これを読んでおけば母とそういう話になったときに話についていけるだろう、と思ったというのもある。

 

 

以前、鎌倉の長谷寺に行ったことがあって、そのときにとある仏像の特別展示というのをやっていた。

当時はまだ全然知識もなかったし、それほど興味もなかったのだけれど、こういうことを勉強してから行った方がやっぱり楽しめるんだろうな。

 

仏像の本を読んでいると、というか、仏教のことを勉強していると、どうしても死というものを考えてしまう(その苦しみから救ってくれるもののはずなのに)。

いつかは自分も死ぬ、ということは前から怖いと思いつつ上手いこと忘れたふりをして生きてきているのだけれど、それを、改めて突きつけられるような。

 

でも、それと同時に、あの大嫌いな人物もいつかは必ず死ぬのだな、ということも思い出させてくれる、ということもある。

ふしぎな気もちになる。

となりに住んでいる人たちも、大人気の歌手も、どこかの知らない国に生きているだれかも、もれなく、死ぬということって。

 

昔の人も、死ぬのは怖くて、それで、その苦しみから逃れるためにたとえば仏教というものを信じていた。

それで、どれだけ救われたんだろう。

救うということばはよく掬うということばとかけられる。

匙ですくう、あの感じは、確かに救うということばとどことなく親和性が高いような気がしないでもない。

 

あまり見かけないけど、巣食うということばもかけことばになりうる。

救うと巣食うはイメージ的には逆。

でも、それがむしろなんだかいい感じに見える。

 

なにが言いたいのかよくわからなくなってきた。

そもそも、言いたいことなんてひとつもなくって。

でも、言いたいことがなにもないというわけでもなくって。

 

なにかを信じる、ということはやっぱり救いになる。

それは、自分を救ってくれるだれかかもしれないし、自分を掬うようななにかかもしれないし、じぶんに巣食うなにものかかもしれない。

 

って、なに言ってんだ。

 

文殊菩薩普賢菩薩とか、日光菩薩月光菩薩みたいな、それぞれの如来をサポートしているペアが好き。

チーム感がある。

ということは、逆に、それだけ人間を救うのが大変なことというのを示してもいるのだろうか。

もう少し深いところまで勉強したい。