明日もあさっても

さみしい時にさみしいと言うのも、疲れた時に疲れたと言うのも、うれしい時にうれしいと言うのも、どれもこれもどうと言うことのないこと。

というひとが羨ましい。
言葉にした途端になにかが損なわれてしまうような、自分の一部が削られてしまうような、よくわからないけどそんな感じがして口にだすのをつい躊躇ってしまう。

いつでもどこでもそういう気持ちをすぐに人に伝えられる人というのは、それはそれでそばにいるのも厄介な気がするけど、なんというか、鬱陶しさの中にしかない愛しさみたいなものを持っているのかもしれない。

今日は比較的穏やかに一日を過ごせた。
穏やか、というのは大事。