外側

なにかに熱中している人を見ると、心がざわざわする。

好きなことがないわけではないし、やりたいことがないわけでもないのだけれど、なんだか、取り残されてしまうような気分になって。

 

外側に自分ができたのは、いつ頃だろう。

中にしかなかった頃は、目の前のことに夢中になって、ただ、それだけだった気がする。

 

何をしていても、それを外側から眺めている自分がいる。

その、外側にいる自分に意識がいってしまうと、目の前のことがなぜだか少しだけ色あせてしまったように感じられ、それまであったはずの熱意が削がれる。

 

完全に外側に行くことができれば、幸せなのかもしれないし、そうでもないのかも。

ただ、生きているということは内側にあるということなので、どちらか一方しか選べないということがなんだか不公平なようにも思えたり。

 

何かに熱中している人を見て、自分の奥底から沸いてくる感情の中には、いろいろと綺麗じゃないものが混じっていて、そういう、よくよく考えてみればくだらないと言ってしまえそうなものに結局は支配されている。

 

でも、外側にいる自分に助けられることもある。

と思ったんだけど、そう思いたいからそう言っているだけのような気もしてきた。

 

本気出せ、って言われても、出し方がわからなくなってしまった人みたいに生きるのは嫌なのだけれど、どうにも、センサーが壊れてしまっているらしい。

って、それさえも言い訳みたい。